《1日目》
陽射しの暖かい午後だったので、フランソワーズは夜の時間のイワンを連れて、研究所近くの公園に来ていた。
「いくら頭が良いって言ったって、イワンはまだ赤ちゃんなんだから、こういう事って、とっても大事だと思うの。」
フランソワーズは常日頃からそう言って、イワンに絵本の読み聞かせをしてやったり、子守唄を歌ってやったりしていた。
他のメンバー達は、そういうフランソワーズの主張に首を傾げるばかりだったが、当のイワン本人が、ちっとも迷惑と思っていないようなので(いや、それどころか、喜んでいるようなフシもあった)、見守るしかなかった。
で、今はその一環の散歩に出てきたというわけだ。
いつもならば、大抵ジョーが一緒に来ている。
以前から、この日課にはほとんどジョーが付き添っていた。だが、ジョーの都合がつかなかった時に、たまたま来日していたアルベルトが代わりに付いて行ったことがあった。その時、図らずも、その公園に来ていた母親達にホンモノの親子と間違われ、それを、フランソワーズはジョーに笑いながら報告したのだった。
それ以来、ジョーは他の一切のことを差し置いても、フランソワーズとイワンの散歩には付き合うようになった。髪の色があまりに違いすぎていて、三者三様なので、親子連れと間違われることはあまりなかったが、ごく稀にそう間違われると、
「いやーー、この子は、遠い親戚の子なんですよ。ちょっと事情がありまして、ボク達で預かっているんです。」
とナゼか嬉しそうに答えるのだった。
だが、今日はフランソワーズ一人でイワンを散歩に連れてきていた。
ジョーは10日後のレースに参加するために、今朝、研究所を発った。張大人とグレートは、店に出ているし、ギルモア博士は研究がノッてきていて、研究室に篭りっきりだ。他のメンバーは、みな其々の国に帰っていた。
もっとも、ジョーと入れ違いに、ジェットとアルベルトの二人がメンテナンスの為に研究所を訪れることになっていたが、彼等の到着は今日の夕方の予定だった。
フランソワーズは、ベンチの脇にイワンを乗せたベビーカーを停めると、その傍らのベンチに腰を下ろした。
「さすがは、我が家のねぼすけ王子さま、ね。よく眠っていること・・・。」
そう呟くと、無意識のうちに、自分の左の胸にそっと触れる。そこだけが、温かく感じられる。
その手の下には、昨夜ジョーが刻んだ痕がある。いつもは、バレリーナでもあるフランソワーズのことを気遣って痕を刻むようなことはしない。が、今回の様に、フランソワーズと離れなければならない時、前の夜、彼女を抱くと必ず痕を刻む。決まって、左の胸にひとつ・・・。いつのまにか、二人の間では、それが約束事のようになっていた。ふと、昨夜のことが思い出されて、頬をうっすら染める。
あれやこれや考えているうちに、ここ、数日のジョーの出発準備の疲れも手伝って、フランソワーズはつい、うとうととしてしまった。
背後に立った、男の気配にも気づかないくらい・・・。
目が覚めた時、フランソワーズはベッドにいた。自分の部屋とも、ジョーの部屋とも違う部屋であることに気がつき、イワンと自分の身に異状がないことを確かめ、そして周囲の様子をさぐる。どうやらマンションの1室のようだ。隣の部屋には男が二人いる。一人は、30代半ばくらいに見える、長身の男。もうひとりは、10代後半くらいだろう、小柄で少年と言ってもいいような顔立ちの男。普通の人間であることは、フランソワーズには容易に解かる。それに、どうやら、懸念していたような、BGがらみの人間でもないようだ。
フランソワーズはサイドテーブルに置かれていた、自分のポーチの中のスーパーガンを確かめると、それを隠し持ち、イワンを抱き上げると部屋を出る。
「気がついたか・・・?」
部屋を出たフランソワーズに気づいた男が声をかけた。
二人とも気が弱そうで、とても、犯罪に手を染めるような人間に見えないことがフランソワーズには不思議だった。
「手荒なことをして、済まなかった。」
その言葉に、フランソワーズは、公園のベンチでうとうとしていた時に、いきなり口にタオルのようなものを押し当てられ、気を失ったことを思い出した。おそらく、麻酔薬か何かが染み込ませてあったのだろう。
(私、誘拐されたんだわ・・・。でもなぜ?何が目的なのかしら?)一瞬BGに誘拐された時のことが脳裏をよぎるが、この二人の背後にそんな大きな組織があるとは到底思えない。あまりにも、手口がお粗末だし、共犯者らしき人物も他には見当たらない。
長身の男は岩田洋一と名乗った。出版社で、雑誌の編集の仕事をしている。小柄な方の男は、篠崎ゴローといってふとしたコトから岩田と知り合い、それ以来彼が人手を要する仕事をする時に手伝っていた。
雑誌の編集と聞いて、フランソワーズは嫌な予感がした。以前、ゴシップ記事で有名なある週刊誌に、ジョーの写真が大きく掲載されたのだ。隣には、フランソワーズも写っていた。見出しには「ハリケーン・ジョー 金髪美女と深夜の密会!!」の活字が踊っていた。どうしたものか、二人で思案しているうちに、前回のミッションが始まった。その次の号には、ご丁寧にも、「ハリケーン・ジョー また失踪! 噂の金髪美女と愛の逃避行か?」という記事が載ったのを、ミッションから還ってから知って二人で苦笑いしていたのは、つい一ヶ月前のことだった。 プライベートなことを一切公表しない(できない)ジョーは、こういう記事を書く輩には、格好の標的だった。
「君に話してもらいたいことがある。」
長身の男が唐突に切り出した。
「君はハリケーン・ジョーの隠し妻なんだろう?」
岩田の言葉に、フランソワーズは思わず唖然とした。(いつの間に、隠し妻なんかにされちゃったのかしら?)。
「隠しても無駄さ。これを見ろ。」
岩田が差し出した週刊誌を見て、驚く。
昨日、発売になったばかりの写真週刊誌の、そのページには、いつの間に撮ったのか、ジョーとフランソワーズが写っていた。そして、二人の真ん中には、イワンがいた。
(これじゃ、そう思われても仕方がないわね・・・。でも・・・どうしよう・・・。)彼ら二人くらいなら、殴り倒して逃げ出すことも簡単だ。しかし、眠っているイワンを連れてでは、話が違う。それに、そんなことをして逃げ出したとしても、また記事にでもされたら、ジョーの立場が・・・・。それだけは、絶対避けなければならない。
岩田は、表向きは、出版社勤務の雑誌記者であったが、裏では、有名人のプライバシーやスキャンダルを暴き、それを一番高い値で買い取ってくれる所に売り渡すという、少々汚い仕事をしているのだった。
そして、今回のターゲットがジョーというわけだった。
全てを悟ったフランソワーズは、この場を逃げ出すことを断念した。
何としても、秘密は守り通さなければならない。自分達のことを公にされるわけには行かないのだ。
「おとなしく、話してくれないか。話してくれさえすれば、手荒なことはしない。君も子供も元の所に帰す。」
「話すって・・・何を?」
一応、訊いてみる。
「君の知っていること、ハリケーン・ジョーのすべて、さ。」
「お話することは、何もありません。」
静かに、けれどもきっぱりと拒否するフランソワーズに、岩田は、
「そうか・・・。やっぱりな・・・。」
と、予想していたかのように答える。
「ま、いいさ。君には済まないけど、話してくれるまでここにいてもらうよ。」
岩田はそう言うと、ゴローになにやら耳打ちして、部屋を出ていった。
ゴローはおずおずと、フランソワーズにこう切り出した。
「君、本当は知っているんだろう?ジョーのこと・・・島村ジョーのことを・・・。」
「!!」
公にされているのは、「ハリケーン・ジョー」という名前だけ。だから、ハリケーン・ジョーの本名が「島村ジョー」であることを知っているのは、自分たちとジョーのレーシングチームの人達だけだ。自分たちは勿論、レーシングチームの誰かがこの事を漏らすとは考えられない。
「答えたくないのなら、それでもいい。 僕は、彼と同じ教会にいたんだ。」
「え?」
ゴローは淡々と話し続ける。
教会にいた頃、親がいない僕らは、よく、近所の子供たちに虐められていた。学校の帰りに待ち伏せされて袋叩きにされるなんて事はしょっちゅうだった。
最初のうちは抵抗もした。が、大勢を相手にしては敵うワケがない。そのうち、僕らは抵抗するのを止めた。ヤツラに媚を売ったり、ヤツラの仲間になったりするヤツも出てきた。すると、連中はますます増長して、さらにエスカレートしてくる。
そんな中で、ただ一人、諦めずに最後まで戦ったのがジョーだった。たった一人で全部を相手にするわけだから、かなりひどく叩きのめされているはずだ。だが、ジョーは涙を流すこともなく、卑怯者の僕らを責めることもしなかった。
ある時、教会が火事になり、僕らを育ててくれた神父さまが殺された。ジョーがその犯人として逮捕され、その後すぐに、行方不明になったけれど、僕らは誰一人、ジョーを疑わなかった。ジョーはそんなことをするヤツじゃないって、皆わかっていたから。
つい、1,2年前、TVでF1GPの中継を見たときは驚いたよ。行方不明になっていたジョーが、レーサー、ハリケーン・ジョーとして出場していたんだから。
勿論、会いに行ったさ、所属チームの事務所を調べてさ。でも・・・。途中で偶然、ジョーのことを書いてある雑誌を読んで、彼が、本名すら明かさない、謎のレーサーであることを知ったんだ。
ジョーに会いたい気持ちがなくなったわけじゃない。でも、僕は、彼に会っちゃいけないんだ。それが、卑怯者だった僕のできる、ジョーに対する償いなんだ。
だから、僕は、岩田にもジョーのことは話していない。だから、君も話したくないのなら、話さないでいい。いや、むしろ、話さないでいてくれた方が・・・。君と子供のことは、僕が責任を持って、ジョーのところへ送り届けるから。
その頃、研究所では、ギルモアと、夕方、研究所に到着したアルベルト、ジェット、それにいつもは張々湖飯店で寝泊りしている、張大人とグレートが、夕方になっても散歩から帰ってこないフランソワーズとイワンを案じていた。
彼らは、手分けして、彼女たちの散歩コースを探して回ったが、唯一の手がかりは、「具合の悪くなった金髪の母親とその赤ん坊を、男二人が病院へ運ぶといって、車で運んでいった。」という話だけだった。母親(?)と赤ん坊の特徴も二人と一致している。もちろん、病院も探したが、該当する病院はなかった。そのため、二人は誘拐されたのだろうということになった。
当初、BGの仕業かと思われたのだが、やり方があまりにもBGらしからぬやり方の為、その可能性は否定された。
「わっからねーな!どう見ても親子連れにしか見えない、フランソワーズとイワンをBGでもない奴らがかっ攫って行かなきゃならねーんだよ。フランソワーズもフランソワーズだぜ。なんで、普通の人間なんかにあっさり攫われちまうんだ?」
「何かよっぽどの事があったんじゃろうて・・・。」
「とにかく、これから、どうするかってことだ。普通の人間が相手なら、フランソワーズだって、簡単にはやられんだろうし、明日になれば、イワンも目を覚ます。そうしたら、テレパシーかなんかでこちらに連絡をとってくるはずだ。」
「はぁ〜っ。大の男が5人もいても、結局は、イワンのお目覚め待ち、アルか・・・。情けないアルね。」
「おお神よ!!我らが姫を守り給え!」
「ちっ。オーバーなんだよ、お前は!!」
「なにおぅっっ!!」
まさに一触即発というその時、
「あーーーー!!思い出したアルっ!!」
張大人が取り出したのは、3冊の週刊誌だった。パラパラと捲っていき、いくつかの記事を全員に示した。
「『ハリケーン・ジョー、金髪美女と深夜の密会!!お相手は、新進気鋭のバレリーナ!!』って、これ、フランソワーズじゃねーか!!あいつら、時々出かけると思ってたら・・・」
「ぷぷっっ!『噂の金髪美女と愛の逃避行か!!』だってよ。こりゃぁ、この前のミッションの最中のことじゃないか?そういえば、あいつ、レースの途中で棄権してたな・・・。」
「お、おい、こっちは『噂の金髪美女、実は隠し妻だった。そして、隠し子までも・・・』とさ・・・。隠し子って、これ、イワンだぞ。」
「こ・・・これは、3つとも、同じ人物が書いた記事じゃ。」
「と、すると・・・・」
ひょっとすると、この記事を書いた人物が、今回の事件に関与しているか、または、何か知っているかもしれない。全員の考えが一致した。
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2003/11/08