イワンの子守唄

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ジェットが久しぶりに研究所を訪れると、リビングにはジョーが珍しく一人で座っていた。
「おう、来たぜ」
いつも通りに声を掛けると、
「ああ、ジェットか。」
と不機嫌な声が返ってきた。

(どうせ、コイツのことだから、フランソワーズと喧嘩でもして、それで機嫌が悪いんだろう)
そう思いながらも、ちょっとからかってみたくって、
「なんだよ、ヒトが久しぶりに来てやったってのによ。随分なご挨拶じゃねぇか。」
と、少しだけ声を荒げて言ってみた。

「あ、ごめん。ちょっと考え事してたんだ、それでつい・・・。」
ヘタな言い訳とも取れる返事に、ジェットは、いきなり核心を突いてみた。
「で、フランソワーズはどうしたんだ?」
「ああ、イワンのご機嫌が悪くってね、それでずっとつきっきりなんだ。・・・。」
「ふーん。それで、いつからだ。」

「え?」
「イワンの機嫌が悪いのは何時からだって聞いてんだよ。今朝か?それとも昨日か?」
「もしかして、君、何か知ってるの?
イワンはもう1週間も機嫌が悪くって、フランは朝も夜もずっとつきっきりなんだ。
ボクは、イワンの事もフランの事も両方とも心配で仕方がないのに、
フランは『大丈夫だから、心配しないで』って言うばかりなんだ。
ギルモア博士は、何も言わないけど、本当はモノスゴク心配してるんだ・・・。
時々栄養剤の点滴をフランに打っているみたいだ。」

「そうか、お前は知らなかったんだよな。もう、ずっとずっと前の話だからな。」
ジェットはそう言って、遠い過去を見つめるような目をして語り始めた。


   *   *   *   *   *   *   *  


あれは、オレ達が改造されて間もない頃。
お前が生まれるずっと前の話だ。

オレとフランソワーズとアルベルトは、来る日も来る日も戦闘訓練とやらをやらされていた。
来る日も来る日も、その繰り返し。
いい加減、ヘドが出そうな毎日でよ・・・。

そんなある日、アイツがぷっつりと訓練に出てこなくなった。
オレ達は、アイツに何があったのか心配で、それとなく探りを入れてみた。
ま、ブラックゴーストも、ちっとやそっとで秘密を洩らすような、そんなバカなことはしないわな。
結局、皆目見当もつかなかった。

5日目に”訓練”に出てきたアイツは、酷く疲れているようだった。
だけどそれ以上に、アイツの瞳(め)が哀しい色をしてたのがオレ達には気がかりだった。

「あなた達、イワンいいえ、001のこと覚えてる?」
敵の攻撃が少しやんだ時、アイツは不意に話し出した。
オレ達とイワンとは、改造のコンセプトが違うとかで、4人一緒に訓練が行われたことは数えるくらいしかない。
そん時だって、一番最近イワンの顔を見たのは何時の事だった、思い出すのが難しいくらいだった。
「あんなに、賢くて冷静で、大人顔負けの判断力まで持ち合わせた彼も、
心はやっぱり普通の赤ん坊なんだわ。」って遠くを見るような目でそう言うんだ。

アイツの話では、1週間前、つまりアイツが呼び出される2日前だな、
イワンの様子が急におかしくなったんだそうだ。
何をしても、泣き叫んで、手当たり次第にそこら中のものを、跳ね飛ばすんだ。
まぁ、ヤツは超能力ベビーだからな。それが、ヤツなりの暴れ方なんだろう。

あんまり手に負えねぇもんだから、ブラックゴーストのやつらも考えたんだろう、
女に子守りをさせてみたらってな。
それで、フランソワーズが呼ばれたんだ。
あの訓練施設には、女はフランソワーズ一人だけだったしな。

アイツがイワンの部屋に行くと、それまでの暴れ方が嘘のように、フワフワと漂ってきてアイツの腕の中に納まった。
それから3日、アイツは片時もイワンを離さずにあやし続けてたそうだ。
建物の中を散歩したり、絵本を読んでやったり、子守唄を歌ってやったり・・・。
普通の赤ん坊にするようにな。それこそ、ほとんど不眠不休で・・・。
3日目の夜、突然に、イワンの記憶がアイツの頭の中に流れ込んできて、
それで、ヤツはすとんと眠っちまった。
その後アイツもぶっ倒れて、丸2日昏々と眠り続けていたそうだ
あ、アイツが倒れたってのは、後でギルモア博士に聞いた話だがな・・・。


   *   *   *   *   *   *   *


「そんなことが、2,3回あったかな。眠らされちまう前によ。
いや、あそこを逃げ出す前にも、確か3回くらいあったはずだ。
アイツは、『イワンの”嵐”』って、呼んでいたっけが。」

「その度に、フランは今みたいに、あやし続けていたの?」

「ああ。そうだ。
最初の時にアイツの頭に流れ込んだイワンの記憶の中にあったって言う、
古いロシアの子守唄なんか歌ってやってよ・・・。」

「イワンの記憶って・・・?」

「オレ達も断片的にだけど、見えたんだ、最初の”嵐”の時に父親が母親を殴り殺すところがよ。
母親は・・・イワンを庇って殺されたように見えた・・・。
ギルモア博士が言ってたんだがよ、
イワンの記憶の中で一番深いところにある、一番つらい、一番膨大な部分が、
フランソワーズの頭の中にも入りきれねぇで、或いはギリギリのところではアイツを守る為に
アイツと近いところにあったオレ達のところにも流れ込んできたんじゃねぇかって。」

「・・・・・・」
ジェットが淡々と話すそのあまりな内容に、ジョーは絶句するしかなかった。
そして、イワンを不憫に思い、
その当時から彼女を支えてきたジェット達を、ほんの少しだけ嫉ましく思った。

「それにしても、1週間か・・・。長いな、今回は・・・。
お前たち、第2世代の改造が始まってからは、不思議な事に、日数が短くなってきていたんだ。
最後の時、お前の改造が終わって、あそこを逃げ出す直前の時は、たったの1日だった。
俺達と一緒の訓練の回数がやたら増えたからじゃないか、って博士とフランソワーズは言っていたが・・・。」
ジェットがちらっとジョーを見遣ったその時、突然ジョーは表情を失い、意識を手放したかのように見えた。

「ジョー、おい、どうしたんだ?ジョー!」
力が抜けてしまったように、ジェットに揺さ振られるがままになっていたが、
しばらくすると、不意にハッと我に返り、呟くように言った。
「見えたんだ・・・。イワンの記憶・・・意識って言ったほうが良いのかな・・・。
ずっと、ずっと昔の・・・生まれてから、今までの、イワンの・・・。
・・・・フラン!!!」

ジョーは弾かれたように、フランソワーズの部屋へと走った。
ジョーが部屋のドアを開け放つと、イワンを抱いたフランソワーズが振り返り、
疲れきってはいるが、安堵の表情を浮かべて笑った。
「ジョー・・・、イワン、今眠ったの。」

イワンをそっとクーファンに移し、それから立ち上がろうとして、フランソワーズはふらっとよろけた。
「フラン・・・!」
抱き止めたジョーの腕の中で、静かに微笑みながらこう言った。

「ジョー、私・・・私・・・」
「え・・・?」
「さっき、イワンの意識が私の中に流れ込んできたの・・・。
前にもこう言うことがあったのは、さっきジェットから聞いたんでしょ?」
「ウン。
それに、ボクも、ボクにも見えたんだ、イワンの意識・・・。」
抱き上げたフランソワーズをベッドに下ろしながら、ジョーは答えた。

「そう。ジョーにも見えたの・・・。
一番最初の時に見えた、イワンの意識はとても壮絶なものだったわ。2度目もそう。
イワンが実の父親のガモ博士に改造されて、間もなくお母さんが殺されて・・・。
BGの施設に連れて来られてから、彼に為されたいろいろな実験や訓練の記憶。
そして、彼の意識の中に流れ込んでしまった、私達の思い・・・。
ギルモア博士が言っていたわ。
イワンは、天才的な頭脳や膨大な知識や超能力を持っていても、心は、普通の赤ん坊なんだって。
だから、その為に受けてしまった精神(こころ)の傷や、さまざまな思念(おもい)を受け止めきれずに、津波のように溢れ出したんだろうって・・・。
そして、自分に一番近い人、あるいは一番思っている人の意識に流れ込んだんだろうって・・・。」

ジョーは、そこまでフランソワーズに受けとめられているイワンを少しだけ羨ましいと思った。

「でも、今回は以前とはかなり違っていたわ。
ご両親に関しての記憶は相変わらずだけど、そのあとから、BGを逃げ出すまでのことは薄らいできていた。
BGを逃げ出してからも、相変わらず闘いは続いたけど、私達はいつも一緒に闘ってきた。それが、私達の支えであると同様に彼にも支えになっていたのね、その時の記憶は以前ほど陰惨なものではなかったもの。」
「そうだったんだ。闘いの合間の穏やかな暮らしが、彼の心を和ませていたんだね。」
「ええ、普通の赤ん坊としての記憶が、ここかしこにあったったわ。」

「私ね、イワンがどうしてこんなに長い間”嵐”の状態になっているんだろうって、ずっと疑問に思っていたの。」
「え?」
「だって、目覚めさせられてからのイワンの”嵐”は段々に間隔が開いてきて、期間も短くなってきた。
最後の時なんかたった1日だったのよ。もう、イワンの”嵐”は来ないと思っていたわ。」
「そういえば、ジェットも長いなって、不思議そうだった・・・。」
「やっぱり、イワン、一年前のことを気にしていたのね。」


フランソワーズの脳裏にあの時のことが過ぎる・・・。

-----「だったら、私も行くわ。お願い、私も魔神像に送って」
-----「いやよ。そんなのいや。お願い、001。009を戻して。001、お願い・・・」
ほんの少し前まで感じていた、彼の手のぬくもりはまだこの手に残っているというのに・・・
あの時の彼の優しい微笑みに、返したい言葉があるのに・・・。

そう、私はまだ彼に自分の気持ちを伝えていない。
伝えたい。
伝えなくっちゃいけない・・・


「イワンは、結局私の願いを叶えてくれたわ。そして、あなたは私のそばにいてくれる。
何も、気に病むことなんてないのに・・・」


地下帝国の爆発前に僕ひとり魔神像の中に送り込まれたと知った時、ヤツを倒して死ぬのならばそれも悪くないかなと思った。
中にいたBGの手下達を倒し、スカールも倒し、魔神像が爆発した直後、助けに来てくれたジェットに腕をつかまれた。
ジェットと2人で落ちていく間、青い地球が見えた時、魔神像に送られる前意識を失っていく直前に見た君の瞳を思い出した。

君の所に帰りたい。
君を思い切り抱きしめたい。
そう思った。
今頃になって気づいた自分の気持ちを、君に伝えたい、そう思った・・・。



「君も僕も、イワンが間違ったことをしたなんて、思っていないのにね。」


ジョーがジェットと共に燃えながら落ちてくるのを目にしてしまった瞬間、フランソワーズはジョーの名を呼んで、そのまま気絶してしまった。

気がついた時には、コズミ邸のベッドに寝かされていた。
そして、二人が辛くも生還したことを知ると、周囲の者の静止も聞き入れず、不眠不休で看護に当たった。

幸いなことに、二人は加速装置を搭載する為、空気との摩擦熱や重力などに対する衝撃に耐えられるよう、表面組織、骨格、その他あらゆる場所が他のメンバーよりもかなり強固な作りになっていた。
事実、ジェットは生還から3日ほどで意識を取り戻し、2週間後にはもう、通常の生活に戻っていた。
だが、ジョーは・・・・

強度という点では、圧倒的な差でジェットよりもジョーの方が勝る。
しかし、ジョーは魔神像に送りこまれる直前のバン・ボグートとの闘いで負傷していたのに加えて、魔神像内でのスカール戦で、かなりのダメージを被っていた。ジョーの肉体のみならず防護服の損傷も激しく、大気圏突入時の衝撃から、傷だらけのジョーの体を護りきることはできなかった。

ジョーの意識が戻るまでの3ヶ月、フランソワーズは休むことなく看護を続けた。まるで、ジョーの意識があるかのように話しかけ、身の回りの世話、彼に接続された医療機器類や投与される薬の管理などを全てこなしていた。表面上は大変穏やかに見えたが、彼女の精神状態は、ギリギリのところだったと、流れ込んできたイワンの意識はそう、ジョーに伝えていた。
そんなフランソワーズの精神(こころ)をサポートし続けたのが、イワンだった。
フランソワーズがつきっきりでジョーの世話を続けている間、イワンもまた、不眠不休でフランソワーズを支え続けていたのだった。


その様子が、イワンの精神(こころ)を通して、ジョーとフランソワーズにも観(み)えたのだった。
イワンの後悔と、自責と、謝罪の気持ちとともに・・・。

「だからイワン、君には感謝こそすれ、恨んだり非難したりする気持ちなんかはコレっぽっちもないんだよ。」
クーファンの中で眠るイワンを覗き込むようにしてジョーは呟いた。
そのジョーに頬を寄せるようにして、フランソワーズも覗き込む。
「ごめんなさいね、イワン。つらい思いをさせたのね、私達・・・。」


イワン、君の(あなたの)お陰で僕達は(私たちは)・・・


<アリガトウ・・・>
「「え?」」
二人は、声が聞こえた気がした。
そして、イワンの閉じられた目に、光るものを見た。

「”嵐”、もう起きなければいいね。」
「そうね・・・。」
二人は肩を寄せ合って、しばらくイワンの安らかな寝顔に見入っていた・・・。




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                                                         2003/09/29 初出
                                                         2008/06/21 加筆