夕方、僕達は連れ立って出かけた。
研究所から、少し離れた山間。
世間から忘れ去られたような寂しい場所に、それはあった。
大きな桜の老木が数本、ひっそりと佇んでいる。
2週間ほど前、桜が開花し始めた頃、
ようやく歩けるようになったばかりの彼女は
「夜桜を見てみたいの・・・。」と言った。
「ああ、イイよ。」
安請合いしてしまったが・・・
この辺りでは普通、開花から1週間で満開を迎えるのだが
今年は運がイイのか(?)、開花から2,3日した頃から寒さがぶり返し、
満開宣言がTVで流れたのは、一昨日の事だった。
今までの寒さがウソのようになくなった日だ。
桜は一気に咲き進み、あっという間に散ってしまうかと思われたが、
ここでもお天気の神様は僕達に味方してくれたようで、
強い風が吹く事も、雨が降ることもなく、今日まで来た。
と言っても、満開のままのわけはなく、
ちょっと散り始めている状態だ。
満開の桜も美しいが、散り際の花吹雪が舞い散るさまもまた違った趣だ。
「風情がある」ってヤツかな?
暖かいし、彼女の体調もここのところ順調なので
「これなら、夜桜見物もかまわんじゃろ」と
ギルモア博士の御墨付きが出たのが、今日の午前中。
午後の3時を過ぎた頃、僕達は研究所を出た。
「ゆっくり、見物しておいで。」
という、博士の言葉に甘えてちょっと早めの夕食を外でとり、
ドライブしながらここに来た。
少し奥まったところにあるので、車を降りてからは
フランソワーズを抱きかかえてここまできた。
「恥ずかしいからいや・・・。」
そういう彼女を抱き上げた瞬間、
以前よりも彼女は随分と軽くなってしまっていた事に気づいて、
不覚にも涙が出そうになってしまった。
この数ヶ月間の記憶が蘇ってきた。
でも、そんなことはオクビにも出さずに
「大丈夫だよ。こんなところ誰も来やしないよ。」
そう言った。
事実、ここに来る脇道に入ってからは、
後続車はおろか、対向車すらこ来なかったし、
人家からもだいぶ離れている。
「!!・・・・・」
それを目にした瞬間、彼女は言葉を失ったかのようだった。
街中に植えられている、ソメイヨシノの少しピンクがかった白とは違って
山桜との交配の結果であろう、ほぼ純白に近いその色は、
満月の光に照らされて、神々しささえ感じられた。
持って来たシートを敷くために、彼女を下ろすと
彼女は、少し頼りなげな足取りで近くの樹に歩み寄った。
樹の幹に手を当て、その樹を見上げている。
「何をしているの?」
と問うと、
「こうしていると、その樹の精霊と話ができるんですって・・・」
と、見上げたまま答えた。
「ジェロニモ、かい?」
「そう、彼がそう教えてくれたのよ。」
「で、君は、その樹の精霊と話せたのかい?」
「フフフ、私にはジェロニモのような力はないみたい。でも・・・」
「でも?」
「なんだか、とっても幸せな気分になれたわ。」
そう言って、彼女は微笑んだ。
シートに座った僕から、少し離れたその老木の傍らに立った彼女は
白い月の光に照らされて まるで浮かび上がるように見える。
彼女の後ろに立つその老木の花は
僅かな風にさえもはらはらと、その花びらを舞い踊らせる。
やおら履いてきた靴を脱ぎ捨てると、
彼女は月の光と、桜の花吹雪の中で踊り始めた。
数週間前まで瀕死の状態だった、
ほんの少し前まで歩く事さえままならなかった、
そんな彼女と同一人物とは思えない程の、
確かな、軽やかなステップで・・・。
だけど、そんな彼女の姿は舞台で見るそれとは違って、
ひとまわりも、ふたまわりも小さくて、儚げで、
あの頃よく見た悪夢の中の彼女の姿に見える。
「だめだ。」
彼女を力いっぱい抱きしめて、そう呟いた。
力いっぱい抱きしめて、そうして、彼女が僕から離れて行かないように。
僕を置いて行かないように。
彼女の髪の中に顔を埋める様にして僕はまた呟く。
「僕を一人にしないで・・・。」
僕の腕の中で、彼女は一瞬躰を固くした。
「あなたを一人になんて、しないわ。
私はあなたの傍を離れない、離れられないもの・・・。」
そう言って、僕を抱きしめた・・・
その晩、僕は、久しぶりに夢を見た。
月の光に浮かび上がるような白い白い、君の姿
僕を見つめる君の蒼い瞳は、慈しむような優しさを湛えている。
「フラン・・・」
僕は君の名を呼び、ありったけの力を込めて
君の細い躰を抱きしめる。
君の躰の柔らかい感触。
甘やかな、君のかおり。
僕を置いていかないで
僕を一人にしないで
いつでも、いつまでも、僕のそばにいて・・・
「大丈夫、あなたを置いてなんていかない。
あなたを一人になんてしない。
私は、あなたの傍から離れられないもの・・・。」
そう言って、君は僕を抱きしめてくれた・・・
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2003/3/21

